毛利氏側を『大切に扱え!』 …秀吉の書状発見!!
- 2016/06/13
- 11:58
その昔、豊臣秀吉が、中国地方の戦国大名である毛利氏側の交渉役だった安国寺恵瓊(えけい)を丁重にもてなすよう、家臣に命じた書状が見つかったと滋賀県長浜市がこのほど発表した。
同市内の会社経営の男性(56)の家に伝わっていたものを同市長浜城歴史博物館が鑑定したところ、秀吉本人の書状と確認された。
男性は書状を市に寄託。書状の現物は、同館で7月23日から始まる特別展「石田三成と西軍の関ケ原合戦」で展示される予定。
当時、中国地方の領地割譲をめぐって秀吉と恵瓊が協議を重ねており、同博物館は「交渉過程が分かる貴重な資料だ!」としている。
この書状の日付は、秀吉の天下統一の足掛かりとなった賤ケ岳(しずがたけ)の戦いから2ヶ月後の天正11(1583)年6月で、その時に京都で恵瓊と会談していたとみられる秀吉が、家臣の伊藤与左衛門尉宛にに送ったものだと見られる。
『恵瓊が帰国するから、ご馳走するように。高槻まで馬三頭を用意したが、そこから先も大切に扱うように!』等と記されている。
秀吉と恵瓊は当時強い信頼関係で結ばれていたとされ、翌7月にも大阪・堺で会談したことが知られている。領地割譲は天正13年に決着したが、同館は「当時、2人がいかに慎重に交渉を進めていたかが分かる。特に秀吉は恵瓊を丁寧に扱っており、交渉が順調だったことが伺い知れる。」としている。

[画像はhttp://www.sankei.com/west/news/160604/wst1606040029-n1.html より拝借させて頂きました♪2016/6/13]
同市内の会社経営の男性(56)の家に伝わっていたものを同市長浜城歴史博物館が鑑定したところ、秀吉本人の書状と確認された。
男性は書状を市に寄託。書状の現物は、同館で7月23日から始まる特別展「石田三成と西軍の関ケ原合戦」で展示される予定。
当時、中国地方の領地割譲をめぐって秀吉と恵瓊が協議を重ねており、同博物館は「交渉過程が分かる貴重な資料だ!」としている。
この書状の日付は、秀吉の天下統一の足掛かりとなった賤ケ岳(しずがたけ)の戦いから2ヶ月後の天正11(1583)年6月で、その時に京都で恵瓊と会談していたとみられる秀吉が、家臣の伊藤与左衛門尉宛にに送ったものだと見られる。
『恵瓊が帰国するから、ご馳走するように。高槻まで馬三頭を用意したが、そこから先も大切に扱うように!』等と記されている。
秀吉と恵瓊は当時強い信頼関係で結ばれていたとされ、翌7月にも大阪・堺で会談したことが知られている。領地割譲は天正13年に決着したが、同館は「当時、2人がいかに慎重に交渉を進めていたかが分かる。特に秀吉は恵瓊を丁寧に扱っており、交渉が順調だったことが伺い知れる。」としている。

[画像はhttp://www.sankei.com/west/news/160604/wst1606040029-n1.html より拝借させて頂きました♪2016/6/13]
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