『 戦争はとっくに終わってたのに…!!! 機雷で亡くした両親と弟…。 』 ~ 【戦争体験】 その悲惨さを高槻の女性(83歳)が語り継ぐ ~
- 2019/08/26
- 10:02
1945年8月15日の終戦から2ヶ月後、米軍が瀬戸内海に投下した機雷で、
狩野(かのう)豊子さん(高槻在住、83歳)のご両親は亡くなったのです…。
今月中旬、桃園町で開催された「子ども達と考える『戦争と平和』展 in 高槻・島本
2019」 で、狩野さんはその悲惨な体験を語りました。
『
その日、狩野さんは集団疎開先で迎えが来るのを待ちわびていました。
戦争が終わったことで、家族での生活を再開するはずだったのです…。
狩野さんは当時、大阪市の中本国民学校の4年生でした。
奈良県の現大和高田市にある専立寺に’44年9月から集団疎開していて、
2つ年下の妹と終戦を迎えました。
狩野さんのご両親は’45年9月末、狩野さんと妹の2人の帰り支度をしに、疎開先を訪ねました。けれども、その時は「また今度、迎え来るからね!」と云って別れました。
狩野さんは、疎開生活について「衛生状態が悪く、のみやしらみで身体がかゆい。
絶えずお腹がすいていて、私も妹も栄養失調でガリガリでした…。」と当時の苦難を想い出します。
そんな子ども達のことを想って、ご両親は母の親戚から食糧を調達するために、
大阪から高松に向かう旅客船「華城丸」に乗り込みました。
ところが、その船は10月13日神戸沖で機雷に触れて沈没、乗っていた175人が犠牲になりました。父北原槙平さんは享年42歳、母春枝さんは38歳、連れていた末弟常男さんはわずか2歳でした。
米軍は太平洋戦争末期、日本の軍艦の移動や物資輸送の阻止を目的に、爆撃機で日本の主要な航路や港に機雷を投下する作戦を展開していました。
結果、終戦後もそうした触雷事故が後を絶たなかったのです。
狩野さんは’45年10月25日に学校に戻りましたが、出迎えに両親の姿はありませんでした。そればかりか、自宅は6月の空襲で焼失し、バラックに変わっていました。
そうして、その後引き取られていた吹田市の親戚宅で両親と弟の死亡を知らされました。
』
狩野さんは「両親は、空襲から子どもを連れて命からがら逃げ延びたのに、戦争が終わって“さあ!人生の花を咲かそう”という矢先に突然命を奪われ、本当に気の毒だ!」と悔しがっています。
「私たちのように不幸な子どもを2度と再びつくらないように、皆さんの知恵で戦争を避けることが出来るようにと願っています!!!」と語気を強めました。

[画像:https://mainichi.jp/articles/20190815/ddl/k27/040/261000c 2019/8/26アクセス]
狩野(かのう)豊子さん(高槻在住、83歳)のご両親は亡くなったのです…。
今月中旬、桃園町で開催された「子ども達と考える『戦争と平和』展 in 高槻・島本
2019」 で、狩野さんはその悲惨な体験を語りました。
『
その日、狩野さんは集団疎開先で迎えが来るのを待ちわびていました。
戦争が終わったことで、家族での生活を再開するはずだったのです…。
狩野さんは当時、大阪市の中本国民学校の4年生でした。
奈良県の現大和高田市にある専立寺に’44年9月から集団疎開していて、
2つ年下の妹と終戦を迎えました。
狩野さんのご両親は’45年9月末、狩野さんと妹の2人の帰り支度をしに、疎開先を訪ねました。けれども、その時は「また今度、迎え来るからね!」と云って別れました。
狩野さんは、疎開生活について「衛生状態が悪く、のみやしらみで身体がかゆい。
絶えずお腹がすいていて、私も妹も栄養失調でガリガリでした…。」と当時の苦難を想い出します。
そんな子ども達のことを想って、ご両親は母の親戚から食糧を調達するために、
大阪から高松に向かう旅客船「華城丸」に乗り込みました。
ところが、その船は10月13日神戸沖で機雷に触れて沈没、乗っていた175人が犠牲になりました。父北原槙平さんは享年42歳、母春枝さんは38歳、連れていた末弟常男さんはわずか2歳でした。
米軍は太平洋戦争末期、日本の軍艦の移動や物資輸送の阻止を目的に、爆撃機で日本の主要な航路や港に機雷を投下する作戦を展開していました。
結果、終戦後もそうした触雷事故が後を絶たなかったのです。
狩野さんは’45年10月25日に学校に戻りましたが、出迎えに両親の姿はありませんでした。そればかりか、自宅は6月の空襲で焼失し、バラックに変わっていました。
そうして、その後引き取られていた吹田市の親戚宅で両親と弟の死亡を知らされました。
』
狩野さんは「両親は、空襲から子どもを連れて命からがら逃げ延びたのに、戦争が終わって“さあ!人生の花を咲かそう”という矢先に突然命を奪われ、本当に気の毒だ!」と悔しがっています。
「私たちのように不幸な子どもを2度と再びつくらないように、皆さんの知恵で戦争を避けることが出来るようにと願っています!!!」と語気を強めました。

[画像:https://mainichi.jp/articles/20190815/ddl/k27/040/261000c 2019/8/26アクセス]
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