食らわんか~くらわんか~
- 2014/01/01
- 09:00
江戸時代、三十石船をはじめ淀川を通行する多くの船の旅客を相手にした商売がありました。

三十石船と、くらわんか舟(安藤広重・画)
通称「くらわんか舟」、公文書には「茶船」と書かれますが、煮売船とも呼びます。十石前後(全長約5m)の小船に火床をそなえ、餅や酒、すし、ごぼう汁、煮しめなどを売っていました。関が原の戦いのとき、徳川軍の物資補給に協力したことから、徳川幕府より営業特権を与えられたといわれています。発祥は高槻の柱本とされ、現在、淀川堤防の上に発祥の地碑がたてられています。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも「商ひ船、ここに漕ぎよせ、【めしくらわんかい。酒のまんかい。サァサァみなおきくされ、ようふさるやつらぢゃな】と此ふねにつけてえんりょなくとまひろげ、わめきたつる。このあきなひぶねはものいひがさつにいふを、めいぶつとすること、人のしる所なり。」と登場。柱本や枚方から漕ぎ寄せる茶船が、「○○くらわんか~」と、乱暴な売り言葉を用いて商売することで有名だったようです。乱暴な売り言葉が茶船という呼び名を押しのけて、ちまたに広がり、名物「くらわんか舟」と呼ばれたのでした。
[引用 高槻市ホームページhttp://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daionokuni/1327662486272.html(2013/12/20アクセス)]

三十石船と、くらわんか舟(安藤広重・画)
通称「くらわんか舟」、公文書には「茶船」と書かれますが、煮売船とも呼びます。十石前後(全長約5m)の小船に火床をそなえ、餅や酒、すし、ごぼう汁、煮しめなどを売っていました。関が原の戦いのとき、徳川軍の物資補給に協力したことから、徳川幕府より営業特権を与えられたといわれています。発祥は高槻の柱本とされ、現在、淀川堤防の上に発祥の地碑がたてられています。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも「商ひ船、ここに漕ぎよせ、【めしくらわんかい。酒のまんかい。サァサァみなおきくされ、ようふさるやつらぢゃな】と此ふねにつけてえんりょなくとまひろげ、わめきたつる。このあきなひぶねはものいひがさつにいふを、めいぶつとすること、人のしる所なり。」と登場。柱本や枚方から漕ぎ寄せる茶船が、「○○くらわんか~」と、乱暴な売り言葉を用いて商売することで有名だったようです。乱暴な売り言葉が茶船という呼び名を押しのけて、ちまたに広がり、名物「くらわんか舟」と呼ばれたのでした。
[引用 高槻市ホームページhttp://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daionokuni/1327662486272.html(2013/12/20アクセス)]
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