川勝清歩さんが死去 京都・南座「まねき書き」を約18年間、担当
- 2014/11/14
- 17:45
書家の川勝清歩(かわかつ・せいほ、本名=茂(しげる)さんが、5日の午後9時50分、
肺がんのため高槻市の病院で亡くなりました。享年81歳。
京都市出身。

高槻市に在住で、葬儀・告別式は近親者で行ったようです。喪主は妻であるトシ子さんが務めました。
川勝さんは1949年、16歳の頃に京都市中央区の「タケマツ画房」に入社。
会社は、映画館の上映作品の看板を手掛けていました。
川勝さんは、ここで書家の竹田耕清さんに才能を見出され、以来、師事するようになります。
それが川勝さんの人生において、大きなターニングポイントとなりました。
竹田耕清さんが手掛けていたのは、歌舞伎の顔見世に出演する歌舞伎役者の名前を、「勘亭流」と呼ばれる、
太く丸みを帯びた独特の書体で記す「まねき書き」。

まねき書きは、顔見世興業の大入りを願って書き上げられるものです。
その仕事ぶりを学んだ川勝さんは、1996年からまねき書きを担当するようになりました。
その後も研鑽を重ねながら、立派にまねき書きを務めること約18年。
師走の風物詩として、毎年、京都・南座の正面玄関を飾ってくれました。
川勝さんが一枚一枚、心を込めながら書き上げたまねきの看板は、一体どれほどの数にのぼるのでしょうか。

またそれは、どれだけの人の目に触れたことでしょう。
高齢を理由に昨年限りで引退してからは、弟弟子の井上優さんが跡を継ぐことに。
伝統の勘亭流はしっかりと受け継がれているようです。
川勝さんにとって、それは何よりの幸せだったのかもしれません。
肺がんのため高槻市の病院で亡くなりました。享年81歳。
京都市出身。

高槻市に在住で、葬儀・告別式は近親者で行ったようです。喪主は妻であるトシ子さんが務めました。
川勝さんは1949年、16歳の頃に京都市中央区の「タケマツ画房」に入社。
会社は、映画館の上映作品の看板を手掛けていました。
川勝さんは、ここで書家の竹田耕清さんに才能を見出され、以来、師事するようになります。
それが川勝さんの人生において、大きなターニングポイントとなりました。
竹田耕清さんが手掛けていたのは、歌舞伎の顔見世に出演する歌舞伎役者の名前を、「勘亭流」と呼ばれる、
太く丸みを帯びた独特の書体で記す「まねき書き」。

まねき書きは、顔見世興業の大入りを願って書き上げられるものです。
その仕事ぶりを学んだ川勝さんは、1996年からまねき書きを担当するようになりました。
その後も研鑽を重ねながら、立派にまねき書きを務めること約18年。
師走の風物詩として、毎年、京都・南座の正面玄関を飾ってくれました。
川勝さんが一枚一枚、心を込めながら書き上げたまねきの看板は、一体どれほどの数にのぼるのでしょうか。

またそれは、どれだけの人の目に触れたことでしょう。
高齢を理由に昨年限りで引退してからは、弟弟子の井上優さんが跡を継ぐことに。
伝統の勘亭流はしっかりと受け継がれているようです。
川勝さんにとって、それは何よりの幸せだったのかもしれません。
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